アートと略歴
わたしの略歴や年齢、性別、は一切非公表。
さらに言えば作家名の読みも決まっていない。
諸橋杢子。
諸 ー ショ、モロ
橋 ー キョウ、ハシ、バシ
杢 ー モク
子 ー シ、ス、コ、ネ
目の前に存在する作品を純粋に感受するのに経歴、性別,年齢、名前は必要でしょうか?
〇〇美術大学卒業の人の作品 ー
若干〇〇歳の天才の作品 ー
美人女流作家の作品 ー
その情報先行の眼で見る作品は
鑑賞者 vs 作品 として純粋に対峙できるのでしょうか?
「〇〇美術大学を出てる人の作品なのだから凄いのだらう」
「〇〇歳の天才と言われている人の作品だからそりゃあ凄いのだらう」
「こげなものを別嬪さんが作ってるのかぁ」
わたしとしては作品タイトルもそれと同じで
何を描いたかわからない様な抽象作品に
「静かな海」
というタイトルがついていれば
「あぁ、これは静かな海を描いたものなのかぁ」という
観点で作品を見てしまう。
例えば
下の作品のタイトルは
「静かな朝」
と言われると“静かな朝”として見てしまいかねない
本当のタイトルは
「さよなら〜それは愛の言葉〜」
そうです。
わたしの大好きな尾崎紀世彦のあの名曲
あのタイトルを少し変えただけ。
わたしは
“これこれこういう作品だから、こうゆう風にこうゆうところを見てください”
なんて思いは一切なく
どこまでも見る方の自由に
どこまでも自分の感じるままに見てもらいたい。
それは鑑賞者の過去の積み重ねが生み出した発想で、それを知り得ることばの中から最適なものを選択した鑑賞者自身の人生の積層体になる。
それを受けて、わたし自身新しい見え方や次作の発想が生まれたり、鑑賞者の感性や人生を薄ぼんやりと垣間見れる。
わたしは木を活かすアーティストではなく
木に生かされる(活かされる)アーティストなので、わたしの名前・信念・闇・憎悪・メッセージなんてものは、深層の深層に押し込めて“同じ思いで生きてる方”にだけ伝わればいいと思う。
グラムロックみたいに華美なファッション、ヘアスタイルでキャッチーに装って見る人を少しでもハッピーにできるアーティストでありたい。
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